誰にも頼まれていないのに伊東市の観光地を紹介する謎の小説
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日蓮伊豆法難 あとがき
柄にもなく真面目に歴史小説を書いてしまいました。時代考証も何も分かりませんので、おかしな点があればご指摘いただきたいと思います。
一点、私も疑問に思っている点があるのですが、伊東朝高の玖須美館は現在の仏光寺らしい。毘沙門堂は現在の仏現寺らしい。毘沙門堂は玖須美館の鬼門に立てられたはず。しかし、仏現寺は仏光寺から見ると鬼門とは真逆です。あるいは、物見塚の辺りが館かとも思いましたが、それでも方角が違います。私もこの程度の知識で歴史小説を書いたのは誠に忸怩たるものがありますが。
なお、私の家は真言宗ですので、日蓮宗や創価学会に義理はなく、まして日蓮や立正安国論を標榜する右翼とは何の関わりもありません。私の故郷伊東にいた間の日蓮のことをふと思い立って書いてみたまでのことです。単純に素人作家の書いた歴史小説として楽しんでいただければ幸いです。
さて、伊東の歴史。曽我兄弟、三浦按針、木下杢太郎、とネタはあるので色々書いてみたい欲はあります。ただ、正直、私の知識が追いついていない現状です。図書館通い、史跡通いを繰り返しており、そのうちまた何かアップしたいと思います。

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日蓮伊豆法難 終章 赦免
「赦免?突然でございますな」虚空蔵菩薩に教えられてとっくにもう分かっていたが、しらばっくれて微笑む日蓮。
「うむ、北条時頼様のお計らいじゃ。わしも随分取り成したがの」と朝高はにこやかに赦免状を見せた。
朝高の取り成しくらいで北条時頼が動くはずがない、そもそも取り成しなど出来るかどうか、と日蓮は思ったが無論顔には出さず
「ありがたき幸せ。早速に出立の準備を致します」と畏まって礼を述べた。
「ところで…」と急に声をひそめた朝高が「わしが仏像をそなたに渡したことは鎌倉では言い触らさんでくれよ」
相変わらず地頭の根性が抜けきらない朝高に苦笑しつつ、「承知いたしました」と答え日蓮は席を立ち、住処へ向かった。
もう住み慣れた感のある毘沙門堂で、伊東で出来た弟子達が別れを惜しんだ。
「流罪というのも、なかなかに楽しいものであったな」
日蓮の冗談に、泣いていた弟子達も笑い出した。
すっかり旅支度を整えてあとは鎌倉へ帰るだけである。だが日蓮は思いついて、富戸の鳥崎、のちに日蓮崎と言われる岬へと寄ってみた。
ここからは、日蓮が最初に置き去りにされたまないた岩が小さく眺められる。波の音の轟く岬で、日蓮が太い声で語り出した。
「思えばわしがあそこに着いてから色々あったな、弥三郎。わしが助けられたのは五月、米が余っておる時期ではない。それなのにお主達はわしをひと月も養ってくれた。まことに、わしの父母が伊東に生まれ変わったのかと思うほどであった。礼を言うぞ。お主達のことは決して忘れぬ」
背後で見守っていた弥三郎夫妻、返事も出来ずただ泣くばかりであった。
この後、日蓮は伊東で得た立像釈尊を生涯、随身仏として持ち続けた。それは、伊東での思い出のためではなかったろうか。

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日蓮伊豆法難 第十二章 自我偈
玖須美館から伊東港へは、左程の距離ではない。日蓮もよく散歩に出かけるが、朝高は地頭でありながら何も束縛しない。
今日も沖合には、人間の苦難など知らぬ鷗達ががたむろしている。更に沖には初島が横たわっているのが見える。
この青い海が安房の小湊へつながっている。いや、唐天竺までつながっているのだ。
日蓮はいつしか自我偈を唱えていた。仏は地上へ仮の姿で現れ、仮の姿は死ぬこともある。しかし実の姿は霊鷲山で永遠の命を得ている。そして人々が救われるのを願っている、という内容である。
この伊東の海を、数百年後に木下杢太郎が「始終動いて居て、而かも永久に不変なる大蒼海」と描写することになる。始終現れては消える泡沫は仮の姿、永久に不変な海は仏の本性といったところか。
夢中で経を唱えているうちに、日が伊豆の山に暮れかかっていた。夕闇のこくなった幻想的な水面に、ざざあん、ざざあん、と響くのは波の音、そして日蓮の読経の声ばかり。
ふと、日蓮が口をつぐみ、柄にもなく驚いた顔で海の上を見つめた。誰かが立っている。海の上に立てる訳がないではないか。はて面妖な。妖怪か、怨霊か?いや、悪意はないようだ、むしろ善意を感じる。この感じ、どこかで会ったような…はるか昔に…
「ああっ!虚空蔵菩薩様!…お、お久しぶりです…」
日蓮が清澄寺で薬王丸と呼ばれていた頃に現れて、宝珠を賜った菩薩である。慌てて手を合わせる日蓮に、厳かな声が降りかかった。
「日蓮よ。お主はここ伊東で法華経を広めることにより、伊豆法難は見事に乗り切った。今は鎌倉へ戻り、教えを広める時である。これからもお主には法難が降りかかるが、宝珠により授かった知恵で乗り切ることが出来よう」
「私は…伊東への流罪を赦免されるのでございますか?」
問いかけたが、菩薩の姿は薄れてゆき、あとには日の暮れた暗い海が残っているばかりであった。

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日蓮伊豆法難 第十一章 教機時国鈔
わしはこの書のなかで、教、機、時、国を以て法華経を広めるべきじゃと説き、更にその順序を説いた。
まず教について、経・律・論の中に小乗・大乗、権教・実教、顕教・密教がある…これ弥三郎、意味が分からなくともそう露骨に嫌な顔をするでない。要するに、教えを説くものは教えをよく知れと、つまりは当たり前のことを説いただけじゃ。
次に機じゃが、教えるにしてもその相手が分かる頭を持っているか、たとえ頭が良くとも受け入れる心があるかどうかよく見極めよ、ということじゃ。先程わしが弥三郎に易しい言葉で言い換えたのもそれじゃな。
三に時とは、教える時がどのような時であるか考えよ、ということじゃ。弥三郎も漁師ゆえどの季節にどんな魚が獲れるかは分かっていよう。朝高殿がいかに意地の悪…いやすまぬ、厳しいと評判の地頭でも冬に年貢を寄こせとは言うまい。今は末法の時である。念仏を唱えるべき時か、法華経を唱えるべき時かは自ずと分かろうというもの。
四に国とは、教えを広めようとする国がどんな国か考えよ、ということじゃ。天竺での釈尊の教えが唐土を伝い朝鮮を伝って我が国へ来たわけじゃが、天竺におけると同様の教え方でよいのか、また唐土や朝鮮と同じ教え方でよいのか。ここ日本に合った教えは何なのか、ということじゃ。
最後に、どのような順序で教えを広めるか。小乗・権大乗が広まっておれば、実大乗を広めるべきで、実大乗が広まっておれば、小乗・権大乗は不要…
おや、弥三郎は陸の上でも舟を漕いでおるな。

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日蓮伊豆法難 第十章 四恩鈔
「シオンショーたら、何でごぜえます」
「うむ、一切衆生の恩、父母の恩、国主の恩、三宝の恩の四つの恩についてこの書で述べておるゆえ四恩鈔と名付けたのじゃ」
「父母や三宝を敬うのは、よく分かるけんど…」
「わしが一切衆生や国主を敬ったらおかしいか?」
「へえ、失礼だども、日蓮様はよく念仏衆の衆生にけなされるお人だで…」
「ふふ、そうじゃな。だが考えてもみよ、一切衆生がおらなければ、衆生無辺誓願度、つまりあらゆる人を救う誓いをわしは立てられなかった。また仮に念仏衆がおらなんだら、念仏衆を改心させるという功徳を積むことはできなかった。一切衆生に恩を感じてこそ、法華経を広められるというものだ」
「ふうん。だども、そげな広い心を待つのはおらには無理だなあ」
「いや、一足飛びには無理じゃ。少しずつ修行してゆけばよい」
「そんで、国主つうたら、鎌倉様だべ?なんでまた、日蓮様を流罪にした鎌倉様に恩を感じるだ」
「まあ、お主には分かりにくかろうな。わしは伊東に流され、まないた岩の上に置き去りにされることによって、生死の具縛、つまり生きるか死ぬかなどと思い煩うことに見切りをつけることができたのじゃ。あの時お主も言うたように、わしはまないた岩から泳いで逃げられたかも知れん。じゃが、逃げずに自分の命への拘りを捨てられたのは、国主が伊豆にわしを流してくれ、まないた岩に置き去りにされたからじゃ。それゆえ、国主へ恩を感ずるというわけじゃ」
「ううん、分かるまではおらは大分修行せにゃいかんなあ」

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