誰にも頼まれていないのに伊東市の観光地を紹介する謎の小説
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曽我物語異聞 あとがき
一度、八重姫を主人公にした歴史小説を書きたいと思っているのですが。歴史小説を書くとなると、当時何を着ていたか、何を食べていたか、どんな家に住んでいたかまで分からないと書きにくいですね。そこで、舞台を現代にして、霊媒体質?の美香に八重姫が憑りつく設定にしました。そうすると残りの魔魅と百合はどういう役回りにしようか、と考えて曽我兄弟が憑りつくことにしました。結構、安易ですがw
作中の観光地について、奥野ダムや稚児ヶ淵以外は、全て伊東駅から歩いていける距離にあります。伊東に旅行された際は、是非お立ち寄りください。別に私の土地ではありませんがwただ、東林寺境内の山の上の曽我兄弟首塚まで登るのはちょっと疲れます。あんまり登る人がいないらしく、作中でも書きましたが、木々に蜘蛛の巣が多いです。皆さん、登ってやってくださいw
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次回作の構想は頭の中にありますが、まだ手つかずです。伊東市内で取り上げてほしい観光地などありましたら、お教えください。では、しばらく失礼します。

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曽我物語異聞 第六章 終曲
「で、もう深夜になっちゃったんだけど」と困った顔の百合さん。色々あって時間まで気づかなかった。
「あ。この暗い中で参道を下まで降りるん?」
「やだぁ。幽霊が出るぅ」
「てゆうか、さっきまで工藤祐経の幽霊やら曽我兄弟の幽霊やら色々出まくってたじゃん」
「あまつさえ美香は八重姫の幽霊に憑りつかれてたわよ」
「むー」
「…えーと美香、もう一度私達の手を握って空飛んでくれない?」
「飛べるわけないじゃん」ふくれっ面の美香。
結局、やむをえず細い不気味な参道を下まで降りて行くことになった。星明りがあるとはいえ足元がおぼつかない。昼間なら海や伊東の街並みがよく眺められてハイキング気分なのに。ところどころにある石仏が動きだしそうで怖い。たまに顔に蜘蛛の巣が引っ掛かる。
「ほとんど肝試しよ、これ」と私がぼやくと
「妖怪だの幽霊だの倒してきた私達でしょ」と百合さんにたしなめられた。
「ところで美香、八重姫様に憑りつかれてた時、意識はあったの?」
「うん、何か楽しそうだなぁ、と思ってみてたよぉ」
「…ここに一人で置いといてあげようか?」
「いやぁん」美香は眼をつぶって私にしがみついている。
やっと、参道の下まで降りてきた。「河津三郎祐泰之墓参道」と書かれた石碑や日本相撲協会の相撲碑が場所柄、墓石のように見える。
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「はあ、やっと降りた」と息をついて東林寺の山門の外を眺めると、パトカーや市役所の庁用車が待っていた。おっかない顔で腕組みした警官や市役所職員達。
「…で、今日ずいぶん色々伊東の街が壊れたのを警官や上司にどう説明すれば?」と困って呟くと
「私達のせいじゃないのにぃ」泣きそうな美香。
「祐経の怨霊よりも怖いかもね」ため息をつく百合さん。
…まったく、観光課の仕事やめたろかな。

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曽我物語異聞 第五章 曽我兄弟首塚
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「八重姫様、東林寺の本堂には伊東家代々の位牌の他に、工藤祐経の位牌もあります。本堂は襲わないでしょう」
東林山の境内にある岡の頂上に、私達三人はふわりと着陸した。ここには、河津三郎の墓、その向かって右に曽我兄弟の首塚がひっそりと立っている…
どどおんっ!と音がしたと思った途端に河津三郎の墓が消滅、そして一瞬にして砕け散った墓石の上には、工藤祐経が立っていた!
「何ということを…」柳眉を逆立てる八重姫。
「八重姫よ」と急に落ち着いた口調、憐みを込めたまなざしで語りかける祐経。激怒する八重姫も気をのまれた。
「おぬしは、千鶴丸を殺した伊東祐親を恨んだことはないのか?」
痛いところをつかれ、ぐっと息を呑む八重姫。
「あれは…恩顧のある平家を慮り、父上はお家のために…」
「だが結局、平家など滅び源氏の世が来たではないか。祐親はお前の子を無駄に死なせただけだ」
「違います!あの時、祐親様も悩みぬいて…」と百合さんが口をはさむ。
「数百年も後のおぬしらに何がわかる!」と怒号する祐経。さらに続けて「八重姫よ、祐親まつりなどとたわけたことをする伊東の街は、わしと共に滅ぼしてしまえ。千鶴丸を殺した祐親は、お前の仇である」
「い、いやああああああああああ!」あれほど毅然としていた八重姫が、涙をぼろぼろこぼして蹲った。何も言えないまま私達はそのか細い肩を見つめた。
「母上…」と背後で優しい声がした。はっ、と八重姫が泣きぬれた顔をあげる。千鶴丸の健気な姿がそこにあった。
「私は、祖父祐親様を全く恨んではおりません。私が殺されたのは、武家の習い。仕方が無かったのです、おじい様のせいではありません」と、千鶴丸は何の屈託も無い顔でにっこりとほほ笑んだ。
「おお、千鶴丸!」泣き笑いする八重姫が千鶴丸に抱き着く。あ、私もちょっと涙でてきた…
「今少しのところでっ!」憤怒の祐経の手から、黒い霧が玉となって八重姫親子に襲いかかる。感動している最中の二人、よけられない!
「ああ、母上…」かろうじて立ち上がった千鶴丸が、八重姫、つまり美香の体を心配そうに気遣う…が倒れた。幽霊でも気を失うのね。
「お次は曽我兄弟の首塚か…」いやらしく口の端を上げる祐経。首塚の前に立つ私達は絶対絶命…
はっと、気づくと私達の手に白い靄が生まれ、刀の形になっていく。なんなの?
「そ、それは!微塵丸っ!薄緑っ!」驚き叫ぶ祐経。
「何それ?」
「曽我兄弟の刀よ」と百合さんがちゃんと刀を構えている。あれ?私の体も勝手に動く…私も百合さんも剣道の経験ないのに。
驚きと怒りで醜く歪む祐経の顔。「や、やめろ…」
やめろと言われたってやめません。百合さんが微塵丸を大きく振りかぶって一閃!私も薄緑で横殴りに胴を払った。結構やるじゃん、私。「うぎゃあああああ!」祐経の体からは血は出ず、黒い霧のようなものが立ち昇った。
「ま、また負けるのか…」悔しさをにじませた声。祐経の姿が黒い埃のようになり、風に吹き消されるように見る見るうちに消えてゆく。
ふと、背後に人の気配を感じた。
はっ、と振り向くと美しい小袖を着た、涼やかな侍が二人…
「よう伊東の地を守ってくれたの。礼を言うぞ」と年長の人、曽我十郎祐成が微笑む。
「おなごの身で大したものじゃ」と若い人、曽我五郎時致がいたずらっぽく笑った。
「ああ…あなた方が曽我兄弟!」「私達に乗り移って…」
軽くうなずいた二人、微笑んだまま白くなって消えてゆく…私達の手元を見ると、握られていたのはただの木の枝にすぎなかった。
「わぁ…イケメンだったねぇ…」とお気楽な美香の声。
振り返ると、美香が元ののんびりした顔に戻って笑っている。そばの千鶴丸はいつの間にか消えていた。
「あの気品のある表情はどうしたん」と呆れて尋ねると
「あれは、八重姫ちゃんだよぉ」と微笑む美香。
「ちゃん付けはよしなさいって」たしなめる百合さん。
うふふ、と誰か笑ったような気がした。

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曽我物語異聞 第四章 奥野ダム
かつて、伊豆に流されていた源頼朝を慰めるため、伊東祐親が近隣の武士達を集め、奥野で盛大に巻き狩りを行った。狩りの後の余興に相撲が催され、伊東祐親の嫡男、河津三郎が俣野五郎を河津がけで破った。その巻き狩りの帰り道で河津三郎は射殺されることになるのだが。現在、奥野ダムのダム湖である松川湖畔には河津三郎の相撲モニュメントが建てられている。
「河津三郎…ふん、曽我兄弟の父親など…」夜空を行く工藤祐経。
「これ以上の狼藉は許しません!」追いかける八重姫。
と、その前にぼうっと現れた黒い影二つ。星明りに照らされたところでは、狩装束というやつか、自分の身長ほどの弓を持ち、背中に矢を背負っている。
「小藤太、三郎、頼んだぞ!」と前方を飛んでいる祐経が叫ぶ。大見小藤太と八幡三郎…工藤祐経の家臣で河津三郎を暗殺した張本人である。
咄嗟に低空飛行する八重姫。と私達の頭上を矢が掠めていった。
「うわぁ!」「きゃぁ!」
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なんとかダムの下の奥野公園に降り立った私達。噴水やら木製迷路橋やらがある。普段の美香なら、ねぇ遊ぼうよぉ、とか言いそうだが、八重姫が憑りついている今は凛とした顔で上を見上げている。市役所の制服に身を包んだお姫様というのも何か変だけど。どんな攻撃が来るか…と待ち構えていると、敵二人はおもむろに矢をしまい弓を背負った。
「ん?何をする気?」不思議に思って見上げる私達。
小藤太と三郎の体が黒い怨念に包まれてゆく。二人の前には、伊豆唯一のロックフィルダム、奥野ダム。ダム湖である松川湖には水が満々と湛えられている。
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「まさかっ。逃げましょう!」と百合さんが叫んだが…
奥野ダムの堤体の分厚い壁に、大見小藤太と八幡三郎の黒い塊がぶち当たる!ごごごっ、めりめりっ、と煎餅でも砕くように簡単に裂け目が出来た。
ごおおおお!轟音と共に奔流が谷間を満たす。家ほどもあるダム壁の瓦礫が頭上から降ってくる!
「卑怯なことをっ」私達の腕をつかみ飛び立つ八重姫、瓦礫はかろうじて避けた…ものの、奔流に巻き込まれてしまった。ものすごい水圧に飛ぶこともならず、三人流される。上か下か分からぬ状態で、しこたま水を飲んだ。
ようやく浮き上がって、八重姫が飛び立とうとする。すると、すかさず矢が飛んでくる。そんなことを繰り返して水流に身を任せているしかない状態。
げほげほと水を吐きながら、だいぶ松川を流されてしまった。ここは万葉の小道の辺りか。和歌を刻んだ碑が立っていて散策に適したところだ。「朝露に咲きすさびたる鴨頭草の日くるるなへに消ぬべく思ほゆ」今は私の命の方が消えそうですが。
と、前方の稚児ヶ淵から白い球体が飛んでくる。「何あれ?」見ている間に私達の頭上を飛び越えると、大見小藤太へ、そして八幡三郎へぶち当たった。
「うおっ」「ぎゃっ」とのけぞる二人。あどけない少年の霊が二人の前に立ちはだかっていた。
「あれは…わが子、千鶴丸!」
松川の稚児ヶ淵…八重姫と源頼朝の子、千鶴丸が沈められた場所だ。
「母上、お久しぶりです」と振り返り微笑む千鶴丸が「ここは私が食い止めますから、祐経の来ないうちに東林寺へ!」
「おお、すまぬ!」
親孝行な息子で良かったね。

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曽我物語異聞 第三章 大楠
「行くとしたら…方角的に、伊東祐経の墓?」と呟く百合さん。
「父上の?!」驚愕する八重姫。いきなり私達の手を取ると、ふわりと舞い上がった。「えっ何?」腕力で持ち上げるのでなく、霊力で持ち上げているようで、私の手は全く痛くない。
「わあ…」「すごいねえ」こんな時だが、満天の星の下を飛ぶのは楽しかった。
眼下の音無神社や最誓寺の見る影もない残骸を越えると、伊東警察署の方からパトカーが何台かやってくるのが見えた。通学橋の袂の消防署からも消防車がやかましくサイレンを鳴らしてやってくる。騒がしくなった伊東の街の夜空を、私達は前方の祐経の黒い姿を追って飛んでゆく。
本郷公園を越えた辺りで、祐経の姿がふっ、と消えた。
「あれ?どうしたん?」
「いずれにしろ父上の墓をお守りせねば」
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葛見神社を越えようとした時、暗い中を下から巨大な物体が勢いよく突き上げてきた。
「うわああああっ!」私と百合さんに掠ったものの、八重姫がかろうじて落ちないように支えてくれる。
「いったあい…何?」
飛んでゆく方向を見ると巨大な根っこのようなものが?
あの方向は…まさか…
どどおおおおんっ、とものすごい音をたてて土埃が舞い立った。
八重姫が急いで急降下する。
「これは…」
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伊東祐親の墓のあった場所に、巨大な樹が生えていた。岩のような幹の上に二本の大枝がV字型にそびえている。
「葛見神社の大楠ね」と百合さん。葛見神社は伊東家の守護神。境内に生えている…いや生えていた樹齢千年以上の大楠は天然記念物に指定されている。祐経くん、国に叱られるぞ。大楠のそばには伊東祐親の墓が無残に砕け、祐親の歌碑が倒れている。
「うわっははははは」という馬鹿笑いに上を見上げると、大楠の上で祐経が仁王立ちしている。
「そうさな、お次は東林寺の曽我兄弟の首塚でも壊すか」
「馬鹿なことをっ」怒りと涙で鬼女の表情の八重姫、赤い玉となって急上昇した。
さすがに意表を突かれた祐経、もろに攻撃を受けてよろける。
体勢を立て直し、首をかしげた祐経、「ふむ、思いついた…」とにやりと笑う。
「何を思いついたというのです」
「東林寺は後回しだ。取りあえず、奥野の河津三郎の像でも破壊するか」
言い捨てて、着物を翻し南へ飛んでゆく祐経。
「変ね…河津三郎のモニュメントなんて最近作られたばかりで、あえて破壊しに行くほどのものかしら」百合さんが首をかしげる。
「わざわざ行先を告げたのは、罠ってこと?」奥野へ行くと見せかけて東林寺かも。
「しかし祐経殿を止めねば」厳しい表情の八重姫に気圧される形で三人は再び飛び上がった。

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曽我物語異聞 第二章 音無神社
空を行く祐経を目で追いながら、私達三人は松川沿いの遊歩道の石畳を駆けてゆく。
「何もあんなもん追わなくても…」とぼやく私、
「妖怪の次は幽霊?もうやだぁ」と文句をいう美香に
「大変なことが起こる予感がするの、とにかく走って!」と急かす百合さん。大変なことなら私達三人の行く先々で十分起こっているので後は静かに余生を過ごしたい。余生長いけど。
祐経は松川を遡り、やがて通学橋を越えた。右手奥に日暮神社、左手に音無神社。
岡橋まで行かずに祐経は空中に止まり、俯いて何かつぶやいている。
「祐親の娘が乳繰り合った音無の森か…その向こうが最誓寺…」
源頼朝は、父義朝が平治の乱で平家に敗れたため、蛭ヶ小島に流されてきた。その頃、頼朝は伊東祐親の娘の八重姫に会うためにわざわざ毎夜馬で伊東まで駆けてきたという。スケベな男である。八重姫に会うために頼朝が待っていたのが日暮の森、現在は日暮神社が建っている。そして八重姫と落ち合ったのが音無の森にある音無神社。現在は森はないが巨木が残っている。音無という名は、頼朝が逢引きの最中、川の音を叱ると音が無くなったという嘘っぽい伝説から。現在、岡橋には頼朝と八重姫のレリーフが飾られている。
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八重姫と頼朝の間には千鶴丸という子が生まれた。だが、当時は平家全盛の世であり、源氏の嫡男の頼朝の子である千鶴丸は、伊東祐親の命令で松川の稚児が淵に沈められた。その千鶴丸の供養のために八重姫が建てたのが、音無神社の向こうの最誓寺だ。
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「音無とはつまらん名前じゃ。音を立ててくれよう」
ざばああああっ、とものすごい音を立てて松川の水が盛り上がった。数メートルはあろうかという巨大な水球が音無神社に襲いかかる!がらん、ぐわっしゃん、と地響きをたてて音無神社の社、鳥居、タブの木が倒れる、そして、道路を越えて最誓寺の壁を叩き潰す!多くの墓石が発砲スチロールで出来ているかのように簡単に流されてゆく。寺の本堂や伊東家の墓、樹齢六百年の大ソテツも一気に流される。どどどどどっ、と国道135号線の上に瓦礫が散らばり、ヘッドライトに照らされる。あわてて急ブレーキをかけた乗用車。そこへ、どかあん、どかあん、と次々に後続車が衝突する。
音無神社があった場所まで走ってきた私達三人、息を切らしながらこの大惨事を眺めた…あれ?美香だけ息が上がってない。様子が変だ。
「おのれ祐経…」いつもは天然でぼおっとした美香の顔が、怒りで険しいものの気品にあふれている。
「えっ。何言ってるの、美香?」
「わらわは八重姫。工藤祐経の所業を見かね、この娘の体を借り参上した」美香も色んなものに取り憑かれる子だねえ。天狗よりはましか。
「ふん、八重姫じゃと?おなごの身で何が出来る」頭上で不敵に笑う祐経、夜空に上昇して南へ。忙しい幽霊さんだ。

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曽我物語異聞 第一章 薪能
松川のせせらぎに、笛の音や鼓の音が調和する。
伊東祐親祭りの最大の出し物、薪能。伊東市内を流れる松川の上に特設舞台と観客席を作る変わった趣向で見せてくれる。舞台の両端にかがり火が赤々と炊かれ、なかなかの迫力だ。…ただ、そばのいでゆ橋からでも結構見えるのに、S席に座ると五千円も取られる。それでも満席になるのが不思議だ。
伊東祐親は平安末期の伊東の豪族だ。伊東に貿易や製鉄を興し栄えさせた。しかし源平合戦で平家方についたため、捕らえられ自害してしまった悲劇の武将だ。
能舞台の背後の東海館は昭和初期の建築の古風な旅館である。現在は旅館を廃業し伊東市が管理しており、内部に伊東の歴史に関する展示物が飾られている。今夜は全館に灯りが灯され舞台を盛り上げている。川面に映る灯りがちらちらと揺れ美しい。0109.jpg

今日の出し物は「小袖曽我」。父の仇討に行く前に母の所に寄った曽我兄弟が、別れを惜しみ母の前で舞い、形見として小袖を貰うというストーリー。
曽我兄弟は伊東祐親の孫に当たるが、仇討の話は伊東祐親と工藤祐経の所領争いに端を発する。所領争いに敗れた工藤祐経が、家来に命じ、伊東祐親とその息子の河津三郎の暗殺に行かせた。伊東の奥野で催された巻狩りの帰り道、伊東祐親は危うく難を逃れたが、河津三郎は祐経の家来に射殺される。河津三郎の子である曽我兄弟は当時は子供であったが、成長して工藤祐経を討つことになる。
今年は、伊東市役所観光課の私こと新井魔魅、親友の松原美香、先輩の宇佐美百合さんで薪能の手配をした。どうやら大きな失敗も無く開催にこぎつけ、今三人は舞台の袖に座っている。百合さんは熱心に『伊東本曽我物語』を読み耽っているが、美香はあくびを堪えている。私はといえば、仕事上一応は勉強した曽我物語のストーリーを思い出しながら、役者達が扇子を持って舞うのを熱心に見ているふりをしていた。
不意に、稲光が辺りをさっと明るくした。すぐにごろごろごろごろごろおっ!っとすさまじい音を立てて雷が響いた。
「きゃあぁ」と怯える美香。
「近かったわね」と本から顔を上げようともせず冷静な百合さん。
いつもながら対照的な二人ね。後で聞いたところでは、この時には物見塚公園の伊東祐親の銅像を雷が直撃、銅像が黒焦げに焼失したところだった。
と、突然かがり火が巨大に燃え上がった。見る見るうちに東海館の最上階にまで達する。私達の顔まで熱気でほてる。
「きゃあっ」「なんだ?」観客達が怯えて騒ぎ出す。がたがたと立ち上がって逃げ出す人もいる。
舞台の中央に立つ不気味な姿…あんな役者いた?古風な和服を着て、不気味に青白い顔。鼓も笛も驚いて止まってしまった。
「何あれぇ」とびびりまくる美香。
「我は工藤祐経…」と呟く人物をよく見ると、その体が透けている…
「この世のものじゃないみたいね」といつもながら冷静に観察する百合さん。ちょっとは慌ててよ。
「この伊東の地で、曽我物を演ずるなど愚かなり」そんなこと言ったって市議会で通ったものはしょうがないじゃん。
「伊東祐親ゆかりのものなど、全て滅ぼしてくれるわ!」
がたん、と倒れるかがり火。途端に、ぼおおっ、と水上舞台が燃え上がる!
「きゃあっ!」「うわっ!」観客席から道路へと上がる階段に人が殺到する。狭い階段に押し合いながら、なかなか前へ進まない。
祐経はふわっと浮き上がった。いでゆ橋を越え、ラヴィエ川良を越え、西へ?

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