誰にも頼まれていないのに伊東市の観光地を紹介する謎の小説
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
日蓮伊豆法難 第三章 生い立ち
安房の国の小湊というてな、この伊東に負けないくらい海の綺麗なところじゃ、わしが生まれたのは。子供の頃は善日麿と呼ばれておったが、自分で言うのもなんだが神童などと言われての。学問を心がけ、当時はわしも念仏など唱えておった。
安房で知られた寺といったら清澄寺じゃ。そこで、わしは十二の時に清澄寺に預けられ、薬王丸と呼ばれるようになった。
名は変わっても相変わらず学問には励んでおったが、念仏を唱えるだけで極楽へ行けるのか、何故仏教はあまたの宗派に分かれておるのか、など疑問は尽きなかった。
ある日、日本第一の智者にならんと願いつつ一切経を読み耽っておると、目の前に虚空蔵菩薩が現れわしに宝珠を賜った。お主はそんなものはただの幻じゃと言うかもしれんな。だが、本当だと思いこんで努力することの方が大事じゃとわしは思った。
その後、名を是聖房蓮長と改めたわしは、鎌倉に学び、更に比叡山に登った。ありとあらゆる経典を読み漁った。そして悟ったのは、法華経こそが最高の教えであり、他の経典は法華経を説くための方便にすぎぬということじゃ。
もはやわしは三十二になっておった。望郷の念やみがたく、最初の説法の地に故郷の安房を選んだ。清澄寺の旭の森で、わしは初めて南無妙法蓮華経と題目を唱えた。そして、名を日蓮と改めた。ここからが苦難の始まりじゃ。
さて、わしの初めての説法の日、清澄寺の境内にはあまたの人々がおり、中に地頭の東条景信殿までおられた。これは騒ぎになるな、あるいは殺されるな、と覚悟をした。その通りの結果とあいなった。わしは法華経こそ最高であり浄土宗などくだらんと堂々と説いたものだから、景信殿は怒号を上げた。家来共に寺を囲ませたので、わしは二人の兄弟子に導かれて危うく難を逃れたことであった。
その後、わしは鎌倉へ向かった。いやしくも一宗を立て天下に公表するには鎌倉がよいと思うたのでな。鎌倉は名越の松葉ヶ谷に庵を結び、わしは毎日辻説法へ出かけた。糞坊主などと罵られ石を投げつけられたこともあったわ。
それでも毎日続けているうちに少しずつ弟子も増えていった。まず順調かと思っておったら、お主も覚えておろう、あの頃の騒ぎ。大洪水、大地震、飢饉、疫病。
わしは何故この国にこうも災難が降りかかるのか考え、一切経をひもといてみた。そして、念仏などの邪教がはびこるゆえ災いが起こるのだと結論づけ、『立正安国論』という書物にまとめた。このままでは他国侵逼、自界叛逆の難が起こると…ふふ、すまぬ、難しかったか。平たく言えば、わが国が異国に攻められ、国の中でも乱が起こる、と説いたのじゃ。
わしは思い切って『立正安国論』を北条時頼殿へ提出した。いや、無茶や無礼は承知の上であった。むしろ無礼な坊主だと噂が立ってくれた方が読んでくれる者が増えると思うてな。ところが読んでくれたはいいが、頭の固い念仏衆にまで読まれてしもうての。松葉ヶ谷のわしの庵が焼き討ちに会うてしもうた。それは危うく逃れたものの、念仏衆め、わしを幕府に訴え出おった。たちまち捕らえられての、伊東に送られることになった。まあ伊東の地頭に監視されるのじゃろうと思いきや、あんな狭い岩の上に置き去りにされ、更には潮が満ちてきてしもうた。そこをお主に助けられたという訳じゃ。
小説 ブログランキングへブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。