誰にも頼まれていないのに伊東市の観光地を紹介する謎の小説
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日蓮伊豆法難 第十一章 教機時国鈔
わしはこの書のなかで、教、機、時、国を以て法華経を広めるべきじゃと説き、更にその順序を説いた。
まず教について、経・律・論の中に小乗・大乗、権教・実教、顕教・密教がある…これ弥三郎、意味が分からなくともそう露骨に嫌な顔をするでない。要するに、教えを説くものは教えをよく知れと、つまりは当たり前のことを説いただけじゃ。
次に機じゃが、教えるにしてもその相手が分かる頭を持っているか、たとえ頭が良くとも受け入れる心があるかどうかよく見極めよ、ということじゃ。先程わしが弥三郎に易しい言葉で言い換えたのもそれじゃな。
三に時とは、教える時がどのような時であるか考えよ、ということじゃ。弥三郎も漁師ゆえどの季節にどんな魚が獲れるかは分かっていよう。朝高殿がいかに意地の悪…いやすまぬ、厳しいと評判の地頭でも冬に年貢を寄こせとは言うまい。今は末法の時である。念仏を唱えるべき時か、法華経を唱えるべき時かは自ずと分かろうというもの。
四に国とは、教えを広めようとする国がどんな国か考えよ、ということじゃ。天竺での釈尊の教えが唐土を伝い朝鮮を伝って我が国へ来たわけじゃが、天竺におけると同様の教え方でよいのか、また唐土や朝鮮と同じ教え方でよいのか。ここ日本に合った教えは何なのか、ということじゃ。
最後に、どのような順序で教えを広めるか。小乗・権大乗が広まっておれば、実大乗を広めるべきで、実大乗が広まっておれば、小乗・権大乗は不要…
おや、弥三郎は陸の上でも舟を漕いでおるな。

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