誰にも頼まれていないのに伊東市の観光地を紹介する謎の小説
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日蓮伊豆法難 第十二章 自我偈
玖須美館から伊東港へは、左程の距離ではない。日蓮もよく散歩に出かけるが、朝高は地頭でありながら何も束縛しない。
今日も沖合には、人間の苦難など知らぬ鷗達ががたむろしている。更に沖には初島が横たわっているのが見える。
この青い海が安房の小湊へつながっている。いや、唐天竺までつながっているのだ。
日蓮はいつしか自我偈を唱えていた。仏は地上へ仮の姿で現れ、仮の姿は死ぬこともある。しかし実の姿は霊鷲山で永遠の命を得ている。そして人々が救われるのを願っている、という内容である。
この伊東の海を、数百年後に木下杢太郎が「始終動いて居て、而かも永久に不変なる大蒼海」と描写することになる。始終現れては消える泡沫は仮の姿、永久に不変な海は仏の本性といったところか。
夢中で経を唱えているうちに、日が伊豆の山に暮れかかっていた。夕闇のこくなった幻想的な水面に、ざざあん、ざざあん、と響くのは波の音、そして日蓮の読経の声ばかり。
ふと、日蓮が口をつぐみ、柄にもなく驚いた顔で海の上を見つめた。誰かが立っている。海の上に立てる訳がないではないか。はて面妖な。妖怪か、怨霊か?いや、悪意はないようだ、むしろ善意を感じる。この感じ、どこかで会ったような…はるか昔に…
「ああっ!虚空蔵菩薩様!…お、お久しぶりです…」
日蓮が清澄寺で薬王丸と呼ばれていた頃に現れて、宝珠を賜った菩薩である。慌てて手を合わせる日蓮に、厳かな声が降りかかった。
「日蓮よ。お主はここ伊東で法華経を広めることにより、伊豆法難は見事に乗り切った。今は鎌倉へ戻り、教えを広める時である。これからもお主には法難が降りかかるが、宝珠により授かった知恵で乗り切ることが出来よう」
「私は…伊東への流罪を赦免されるのでございますか?」
問いかけたが、菩薩の姿は薄れてゆき、あとには日の暮れた暗い海が残っているばかりであった。

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テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

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